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ハワイの概要




ハワイは、アメリカ合衆国の50番目の州で、オアフ島、ハワイ島、マウイ島、ラナイ島、モロカイ島、カウアイ島、ニイハウ島、カホオラヴェ島の主要8島と、124の小島からなるハワイ諸島で構成されています。州都は、オアフ島にあるホノルルで、ハワイの総人口(約140万人)の約75%がホノルルに在住しています。
主な産業は観光業で、公用語は、英語とハワイ語となります。

ハワイ諸島の島々は、2500-4000万年前、火山活動とサンゴ礁で形成されたとされており、人々が定住し始めたのは西暦500年ごろ(ポリネシア人)とされています。主に、農耕と漁業を行い、ヤムイモやタロイモ、バナナを蒸した「ウム」と呼ばれるものを食べていたようです(現在のハワイでは、パイナップルやココナッツが有名ですが、これらはハワイの植物ではなく、後に持ち込まれた植物です)。


 

ハワイでは,1700年代の後半まで、いくつかの部族集団が存在しており、各部族集団の実力者たちは各地で勢力を張って、部族間で抗争を繰り返していた歴史があります。この歴史に終止符を打ったのが、カメハメハ大王による「ハワイ諸島統一」となります(1795年)。

1778年まで、ハワイは、主だった外界との交流はなく、太平洋で孤島の存在でした。ゆえに、それまで繰り返されていた部族間の抗争も、木や石を武器とした原始的なものでした。
1778年、そんな孤島のハワイに、当時、太平洋の島々を巡っていたイギリスの探検家:ジェームズ・クックが来航しました。このジェームズ・クックの来航によって、ハワイは欧米人に知られることとなります。そして、これを期にハワイは、イギリスだけでなく、フランスやスペイン、アメリカとも交易をとるようになります。この交易の中で、カメハメハは、イギリスのジョージ・ヴァンクーヴァーと親しく付き合うようになり、後のハワイ諸島統一まで、彼の協力を得ることとなります。当時、イギリスは、大砲や銃では先進していましたので、カメハメハはそれらの武器を提供してもらうことになりました。この提供が、カメハメハがハワイ諸島を統一する大きな決め手となったのです(それまでハワイの各地では、各部族が木や石を武器としていましたので)。

カメハメハは、ハワイ諸島を統一した後、自ら大王となり、王権を強化して王朝を築いていくこととなります。カメハメハはその後、2世・・・3世・・・と、代々王朝を継続していくこととなるのですが、カメハメハ5世の頃になると、彼は生涯独身で子供がいなかったため、カメハメハの血筋はそこで途絶えることとなります。ゆえに、王位は王朝の王族の中から選ばれることになります。

カメハメハ3世の頃から、王朝はアメリカ寄りの政策がとられることが多くなり、王朝の第6代王位についた王族のルナリロ王は、よりアメリカ寄りの政策をとるようになります。ルナリオ王の次に王位についたカラカウア王も、ハワイとアメリカの通称互恵条約を結び、ハワイの経済は、その影響でどんどん発展していくことになります。ただ、この頃から徐々にハワイのアメリカへの依存度が高まっていくこととなります。それに伴い、ハワイは、アメリカの勢力はどんどん強くなり、王権は縮小し、やがて、外国人の権利が拡大していくこととなっていきます。

1891年、カラカウア王の妹、リリウオカラニ女王が王位に就くと、王権を取り戻すため尽力しましたが、アメリカの勢力には勝てず、1893年、アメリカはハワイに暫定政府を樹立し、女王は降伏。1895年、女王は王位を放棄し、1898年、ハワイは正式にアメリカの領土となりました。




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